浦和地方裁判所 昭和41年(わ)639号 判決 1969年3月24日
被告人 中島一夫
昭八・三・二三生 無職
主文
被告人を死刑に処する。
押収してある包丁一丁(昭和四一年押第一七〇号の一二)、麻繩および同切れはし一五本(同押号の一五、一八、三一ないし三三、三六)、軸二本在中のマツチ箱一個および燃え残りマツチ軸一本(同押号の五三、五五)を没収する。
押収してある背広上下一着(同押号の一)を被害者海老沢長治の相続人にナイロン製風呂敷一枚(同押号の一一)を被害者海老沢アヤ子に、背広上衣二枚(同押号の三九、四三)、黒短靴一足(同押号の四〇)、半袖シヤツ一枚(同押号の四一)、ズボン二本(同押号の四二、四四)、手提カバン一個(同押号の五〇)を被害者関谷甚九郎の相続人にそれぞれ還付する。
理由
(被告人の経歴)
被告人は、建具職中島信義(明治三五年一月九日生)と亡なつの長男として、本籍地東京市四谷区花園町二六番地(現東京都新宿区同町同番地)で出生し、三歳のころ、父母とともに同市中野区鍋屋横丁に移転し、同区立第一桃園小学校に入学したが、そのころ母が病死したため、父とともに、本籍地で露店商をしていた祖父母中島軍治、しげの家に戻り、四谷第七小学校に転校し、一年後の昭和一五年、父が石井きく(婚姻届はせず)と再婚し、再び前記中野区鍋屋横丁に移つた後も、右祖父母方にあずけられていたが、小学校四年生ごろからは殆んど登校せず、同六年生ごろ父が右きくと五年足らずで離婚し、同一九年現在の妻チカと結婚(婚姻届は昭和三七年一一月七日)し、神奈川県鶴見区内に世帯を持つに及び、父夫婦のもとに引きとられて暮らすうち、同二〇年三月戦災にあつたため、父夫婦や祖父母とともに、父の弟清松のいる秋田県北秋田郡上小阿仁村に疎開し、同所に約二年いた後、父が埼玉県入間郡梅園村において、梅園林業に勤めることになり生活の目途がついたところで被告人も疎開先から引きあげ、父の仕事を手伝つたが、そのうち家の金を無断で持ち出し、上野あたりで遊び、金がなくなると帰宅するなどの生活をくり返し、折角仕事についてもすぐ厭になつてやめ、父の名をかたつて他から金を借りたり、勤め先の金を持つて逃げたりし、同二三年、一五歳のころ家出し、浮浪の仲間に入つて働こうとせず、はじめは店から食べ物を盗るぐらいのものであつたが、次第に他の品物にも手を出し、仲間の年長者が売り捌いて得た金のうちから小使銭を貰うようになつたため、東京都大塚の児童相談所や、小田原の保護施設に収容されたが、いずれも短日のうち逃げ出し、昭和二三年七月、同二五年三月、同二七年三月の三回に亘り、いずれも窃盗の非行により検挙され、その都度少年院に送致されたが、短くて一週間、長くて二ヵ月位で逃走し、その後同二八年一〇月二九日から同三三年二月一三日までの五年に足らない間に、いずれも窃盗罪(右三三年の罪は窃盗および単純逃走)により五回懲役刑(右二八年の刑は五年間執行猶予、同二九年七月一七日同執行猶予取消決定確定)に処せられて服役し、同三五年九月二〇日には東京地方裁判所で窃盗、住居侵入、強盗罪により懲役六年に処せられ(控訴したが取下げにより同年一一月一日確定)、長野刑務所で服役し、同四一年九月一日仮釈放により同刑務所を出所し、作業賞与金など約三万三、〇〇〇円を持つて同日上京し、午後五時ごろ、東京都千代田区富士見一丁目一〇番一六号所在の東京保護観察所に出頭し、係り保護観察官から、被告人の指定帰住地となつている同都板橋区常盤台三丁目二番地所在の保護会「興楽会」に行くよう指示されたが、面倒に思い、同夜は同都新宿区百人町二丁目一二一番地ベツドハウス「みなと苑」に泊り、翌二日からは、同町同番地所在の簡易旅館「さくら荘」に、「二宮」と名乗つて宿泊徒食していた。
(罪となるべき事実)
被告人は
第一、右九月二日と翌三日の両日、神奈川県川崎市所在の川崎競輪場で車券を買い、前記所持金の約半分を費消してしまつたことから、三日の最終レースが終了した午後四時半ごろ、やがてその後の生活費に困窮を来すことを考え、他家に押し入つて金品を強取しようと企て、前日同市内で護身用ということで買い求めた包丁一丁(昭和四一年押第一七〇号の一二)を携え、さらに右三日いずれも犯行の際使用する目的で軍手一双(同押号の一三)、麻繩五束(同押号の一五、一八、三一ないし三三、三六)登山帽などを買い求めたうえ、国鉄新宿駅まで帰つてから西武新宿駅に行き、同所で、犯行の場所を、かねて地理を知つている東京都北多摩郡田無町(現田無市)地内と定め、同駅から電車に乗り、武蔵関駅まで行つて一旦下車し、同駅近くの映画館に入つて時間を過ごした後、翌四日午前零時過ぎころ、同駅から再び電車に乗り、田無駅で下車し、押し入り先を物色して歩き、同零時三〇分ごろ、右田無町九二七番地(現田無市田無町同番地)タクシー運転手海老沢長治(大正六年一二月六日生)方裏手に廻つたところ、同家が網戸二枚をしめただけで、雨戸などの戸締りをしていないのを見て、同家に押し入ることを決意し、持つていた前記包丁で網を切り、そこから手を差し入れて網戸の施錠を外したうえ、西南の隣家斎藤重泰の屋敷内にあつた長さ約七八・五センチメートルの木製角形の椅子の脚一本(同押号の三)、前記包丁および麻繩を携え、右網戸を押し開け、同所から故なく屋内六畳間に侵入し、同室で前記長治が一人で熟睡しているのを見定め、その枕元に立ち、前記椅子の脚で同人の頭を二、三回叩き、目を覚まして身を起した同人に対し、右包丁と椅子の脚を示しながら、「金はないか、おとなしくしていれば乱暴はしない」、などと申し向けて脅迫し、長治が、「家内が全部金を始末しているので自分には何処にあるかわからない」、と言うや、同人の腕を引つ張つて布団の上にうつ伏せに寝かせ、前記麻繩で両手首を後手に縛り、両足首も縛り、さらに勝手にあつたタオルや布切れなどを使つて猿ぐつわや目隠しをしてその反抗を不能にしたうえ、屋内を物色して洋間の洋服タンスの中にあつたハンドバツグなどから、右長治および同人の妻アヤ子所有の現金合計約三万三、六〇〇円を強取した後、目隠しと猿ぐつわを外し、「もつと金があるだろう」と申し脅かして指示させ、前記六畳間の、空缶(同押号の一七)内から硬貨で約三、二〇〇円を強取したが、そのうち同人が縛られた箇所の痛みを訴えたので縛つた麻繩を全部ほどいたものの、すぐ不安に思い足首に手ふき用タオル(前押号の三五)をあて、その上を再び麻繩で縛り、手首も後手に麻繩で縛り、ハンカチ(同押号の三〇)を口中に押し込み、前かけ(同押号の二七)、タオル五本(同押号の二六)を使つて目隠しや猿ぐつわを施し、布団の上にうつ伏せに寝かせ、頭から掛布団をかけて放置し、台所からビール、ソーセージなどを持ち出して飲食したり、風呂に入つたりして時間を過ごしているうち、長治に対し、いわゆる鶏姦行為をすることを企て、猿ぐつわを緩め、足首の麻繩を解き、「これから変つたことをするが辛抱しろ」、と言いながら、うつ伏せになつている同人の肛門内に自己の陰茎を挿入して強制わいせつ行為をした後、また元のようにして足首を縛り、猿ぐつわをして布団をかけたうえ、同家を逃げ出そうと考えたが、覆面もせずに長治と正面に向かい合つて話をし、同人に顔を見られていることから、このままにしておいて訴えられるときは直ちに掴つてしまうことは必定であるとし、その憂えを断つためには長治を殺害する以外に方法がないと考え、ここに同人を殺害することを決意し、同日午前二時ごろ、前記麻繩で同人の両膝部、両上腕ごと胸部、両手首ごと腹部の三ヵ所を縛り、長治が危険を感じ必死に抵抗するのを押えつけ、タオルケツト一枚(前押号の二五)を四ツ折りにして顔面に巻きつけ、その上から麻繩で頸部および顔面の二ヵ所を縛り、さらに敷布団一枚(同押号の二二のうちの一枚)を長くして全身を寿司巻きにし、その上から麻繩(同押号の三一)で頭部付近、胴体、膝、足首の四ヵ所を縛り、長治が動かなくなつたのを見て押入内にあつた布団や毛布数枚を同人の上にかけてそのまま放置し、前記猿ぐつわや顔面等緊締のため、間もなく呼吸口および呼吸道閉塞ならびに頸部圧迫により同人を窒息死させ、再び屋内を物色して前記洋服タンスなどから、背広上下一着(前押号の一)ナイロン製風呂敷一枚(同押号の一一)などを強取し、同日午前五時過ぎ逃走するに際し、証拠が残らないようにするため、同家に火を放ち焼き払おうと決意し、同家玄関にあつた竹製のくず入れ籠を前記六畳間押入下段の行李の上に置き、その中に新聞紙五、六枚を丸めて入れ、マツチで点火して燃え上がらせ、現に長治の妻アヤ子が住居に使用する木造一部ブロツク建、約四七・三平方メートルの家屋一棟を全焼させて焼燬し
第二、右犯行後、前記「さくら荘」に寝泊りして右強取した金員などで、競輪場に行つたり、映画を見たりして徒食していたが、同月一五日午前一一時ごろから午後四時半ごろまでの間、埼玉県大宮市所在の大宮競輪場で車券を買い、所持金の大半を使い果してしまつたため、再び他家に押し入つて金品を強取しようと企て、東武野田線大宮公園駅から電車で岩槻駅まで行き、午後五時過ぎごろ下車したが、同市内には時間待ちをするための映画館がないことを知るや、同駅近くで、犯行の際使用するための軍手一双(前押号の五六)を買い求めたうえ、同駅から再び電車に乗り、同二〇分ごろ、春日部駅で下車し、同市内の映画館春日部文化劇場に入り、映画を見て時間を過ごし、午後九時五〇分過ぎごろ映画が終つたので同劇場を出て押入る家を物色して歩き、途中新築中の空家に入つてさらに午後一一時過ぎまで時間を過ごし、同建物裏手にあつた直径太い方約四・五センチメートル、細い方約三・三センチメートル、長さ約一・二〇メートルの丸太棒一本(前押号の三八)を脅迫用に携え、なおも同様物色して歩いているうち、翌一六日午前零時ごろ、同市大字粕壁六、〇四五番地会社員関谷甚九郎(昭和六年一月五日生)方北側風呂場窓のガラス戸二枚のうち、左の一枚を試みに引いてみたところ、施錠がなく、容易に開いたので、同人方に押し入ることを決意し、まず持つていたタオル二本で覆面し、前記丸太棒を持つて右窓より故なく屋内風呂場に侵入し、奥六畳に入り、同所で右甚九郎、その妻圭子(昭和一一年六月二二日生)、長男越郎(同三六年七月二二日生)および次男建郎(同四〇年九月二七日生)の四名が熟睡中であるのを見定め、同家勝手流し台脇に差してあつたステンレス製刃渡り約一六センチメートルの包丁一丁(前押号の五七)を左手に、前記丸太棒を右手にそれぞれ持ち、右甚九郎と圭子の間に立ち、右丸太棒で仰向けに寝ていた甚九郎の額を二、三回叩き、目を覚まして上半身を起した同人に対し、右包丁および丸太棒を示しながら、「金が欲しいからくれ、静かに言うとおり出せば乱暴しない」、と申し脅かして金員を要求したが、同人が「借金して家を建てたばかりで金がない」、と言うや、同人をうつ伏せに寝かせて両手を後手に組ませ、同室内にあつたタオル一本(前押号の六二)でその手首を縛り、さらに小児用敷布一枚(同押号の六五)で両足首を、敷布一枚(同押号の六四)で両膝上をそれぞれ縛り、タオルと手拭を二本つなぎ(同押号の六八)にして猿ぐつわをし、幼児用シヤツ一枚(同押号の七四)と敷布一枚(同押号の六九)で目隠しをし、布団地反物一反(同押号の六七)を平たく巻いたまま顔面にあて、その上を二本つなぎのサラシの紐(同押号の六六)で縛つて頭から布団をかぶせ、そのころ物音に目を覚まし逃げようとした圭子に対し、前記丸太棒を目の前に突きつけ、「騒がずに金を出せ」、と金員を要求したが、同女が、「金はない、家中探してもよい」、と言つて応じなかつたので、持つていた前記包丁の刃の平面でその頬を叩き、うつ伏せにして付近にあつた紐などで、両手首、両足首および両膝の上を縛り、目隠し、猿ぐつわをし、頭から布団をかぶせて甚九郎、圭子両名の反抗を不能にさせたうえ、同室内を物色し、甚九郎が敷布団の下に入れておいた二つ折財布(同押号の五九)などから現金約二万円を強取し、そのころ被告人に誤つて手を踏まれた次男建郎が目を覚まして大声で泣き出したが、その際もがいて猿ぐつわをずらせた圭子が、「自分にあやさせてくれ、だまらせるから子供を殺さないでくれ」、と哀願したので、一旦、同女を縛つたのを全部解いて、右建郎にミルクを作つて与えさせて寝つかしめ、次いで圭子を強いて姦淫しようと企て、同女に対し、「俺の言うことは何でも聞くか」、と言つて、既に極度に畏怖している同女を仰向けに押し倒して乗りかかり、自己の陰茎を同女の陰部に挿入して強いて姦淫したが、たまたまその際前記甚九郎がうめき声を発したのを圭子が聞きつけ、甚九郎の猿ぐつわを緩めてくれと哀願したので、射精に至らないうち一時陰茎を抜き、前記包丁を手離して布団の側に置いたまま甚九郎の枕元に行き、猿ぐつわを緩めようとしたところ、圭子に、左斜後からいきなり右包丁で頭部に斬りつけられたため憤激し、圭子外前記三名の家族全員を殺害しようと決意し、同女に飛びかかり、手拳で同女の顔面を、左眼から頬にかけ、二、三回強打し、その場に尻もちをついた同女をうつ伏せに強く押えつけて両手を後手に組ませ、付近にあつた木綿手拭二本(同押号の八六、八七)とネクタイ一本(同押号の八五)で両手首を縛り、さらにそのネクタイを腹部に廻して縛りタオル二本(同押号の八八、八九)で両膝関節部および両足首をそれぞれ緊縛し、さらに木綿手拭二本(同押号の八三、八四)で猿ぐつわや目隠しをし、バスタオル一本(同押号の八二)で二重に目隠しをし、ネグリジエ一枚(同押号の八一)で顔を一巻きして縛り、再び泣き出した建郎の頸部を両手でしめつけたうえ、婦人用ナイロンストツキング一本(同押号の九三)で頸部を一巻きにして締めて結び、右絞頸により窒息死させ、次ぎに圭子の目隠しと猿ぐつわを一時外して同女を揶ゆするように、「金があつた」と言つて、盗つた一万円札を見せた後、また元どおり猿ぐつわと目隠しをし、紐様のものを首に巻きつけて強くしめ、そのころ甚九郎が暴れ出したので風呂敷で布団の上から足を縛り、敷布一枚(前押号の六三)で胸のあたりを両腕ごと縛つたうえ、右洋服タンス内にあつたネクタイ三本(前押号の七一ないし七三)を頸部に巻いて放置し、続いて右洋服タンス内などから、甚九郎所有の背広上衣二枚(同押号の三九、四三)、半袖シヤツ一枚(同押号の四一)、黒ズボン一本(同押号の四四)夏物水色ズボン一本(同押号の四二)およびビニール製桃色手提カバン一個(同押号の五〇)を強取し、再び甚九郎の側に行き、バスタオル一枚(同押号の六一)で同人の頭部を巻き、その上を腰紐一本(同押号の六〇)で縛り、次ぎに毛布一枚(同押号の八〇)を四つ折りぐらいにして圭子の頭部に巻き、その上をネツカチーフ一枚(同押号の七九)で縛り、さらに男物ズボン一本(同押号の七八)を頭上からはかせるようにして頭部にかぶせたうえ押入れにあつた布団二枚づつを右両名に掛け、同人らに対し前記猿ぐつわや頭部、顔面の被覆緊縛により、間もなくいずれも口鼻閉塞のため両名を窒息死させ、さらに布団から目だけ出している長男越郎に気づき、同人に二言、三言話しかけたうえ、うつ伏せにし、手拭で後手に手首を縛つてそのまま放置し、同日午前五時前ごろ、前記手提カバンに盗んだ背広などを入れ、同家玄関下駄箱から黒短靴一足(前押号の四〇)を強取し、問もなく逃走するに際し、同家に放火して焼き払い、証拠を残さないようにしようと考え、火災により越郎が焼死することもやむなしとして、同家六畳間押入れ下段の、テレビ用ダンボール箱一個(同押号の九八)の中に、マツチ(同押号の五三は軸二本在中のマツチ箱、五五は燃え残りのマツチ軸一本)で火をつけて燃え出した新聞紙を投げ入れ、それが燃え上がるのを見てその場を立ち去り逃走したが、右ダンボール箱内の白ナイロン靴下一足(同押号の九五)などの一部を燃しただけで自然鎮火したため、右家屋焼燬の目的ならびに越郎殺害の目的を遂げなかつた
ものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人らの主張に対する判断)
一、心神喪失もしくは心神耗弱の主張について
弁護人は、被告人は本件各犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたものであると主張し、被告人および弁護人は、特に判示第二の犯行当時被告人はウイスキーを飲み泥酔錯乱の状態にあつた、と主張するが、鑑定人医師鈴木良雄作成の鑑定書によれば、被告人は過去現在を通じて精神病にかかつたことはなく、意志薄弱、自己顕示性、軽佻、情性欠如、粘着性などを特徴とする著しい性格偏倚を示し、性的倒錯の傾向を有する異状性格者ではあるが、本件各犯行当時においても意識は清明かつ冷静であり、判断の自由およびそれに従つて行動する自由を喪うか、または障害されていたとすべき根拠は全然ないと認められること、前記第一回および第三回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人の検察官に対する各供述調書、当裁判所作成の各検証調書、司法警察員作成の各検証調書、各実況見分調書、各捜査報告書および各写真撮影報告書、押収の各証拠物件等によれば、判示第一、第二の犯行とも常人の周到な計画のもとに行われたものであることが窺われること、被告人の捜査官の取調べに対する右各犯行の方法、順序、態様等についての供述が、具体的かつ詳細に整然となされ、前記司法警察員作成の検証調書、実況見分調書、写真撮影報告書等に現われている客観的犯行状況に良く合致していることなどの諸事実を総合すれば被告人が本件各犯行当時心神喪失もしくは心神耗弱状態にあつたものとは到底認められない、弁護人および被告人は、判示第二の犯行の前に、ウイスキーを飲み、犯行時には泥酔錯乱状態にあつた旨主張するが、被告人が右事実を述べたのは、本件起訴後四ヵ月を過ぎた第五回公判期日においてであり、それまで、このような責任に重大な関係のある事実を一度も述べていないということは、犯罪者の心裡として通常考えられないことであるから、飲酒の真偽は疑わしいのみならず、仮に若干の飲酒をしていたとしても前記諸事実に対比し、当時被告人が心神喪失もしくは心神耗弱の状態にあつたものでないことの前記認定を覆すことはできない。弁護人の前記主張は採用しない。
二、強制わいせつの訴因についての告訴がないとの主張について
弁護人は、判示第一の強制わいせつの罪については告訴がないと主張するが、被害者海老沢長治の妻アヤ子の司法警察員に対する昭和四一年一〇月一六日付供述調書によれば、右アヤ子は本件公判請求前の右同日判示第一の住居侵入、強盗殺人、現住建造物放火の各罪について、その被害のてん末を述べ、加害者たる被告人を厳重に処罰して貰いたい旨供述している事実が認められるところ、右強制わいせつの罪は、右住居侵入の罪と手段結果の関係があり、同住居侵入と強盗殺人、同住居侵入と現住建造物放火との間にも手段結果の関係があることから、結局以上全部が処断上の一罪となること後記法令適用の部で示すとおりであるので、前記告訴は強制わいせつと処断上の一罪の関係にある犯罪事実の一部についてなされたものであることは言うを俟たない。ところで一罪の関係にある犯罪事実の一部について告訴があるときは、後記例外の場合を除き告訴の効果はその犯罪事実の全部に及ぶものであり、このことは科刑上の一罪についても同様である(告訴の客観的不可分の原則、告発につき最決昭和三八年三月一九日、刑集一七巻一〇二頁)。もつとも、これには例外があり、科刑上の一罪の各部分が被害者を異にするときは一被害者の告訴は他の者の被害部分に効果を及ぼさないし、また被害者を同じくするが、一方が親告罪、他方が非親告罪―例えば本件の如く住居侵入して強制わいせつ行為をした場合―非親告罪に限定した告訴の効力は、親告罪に及ばないと解するのが親告罪の趣旨からして相当である。しかし、本件の場合、前記海老沢アヤ子が判示第一の強制わいせつの罪をことさらに除外し、他の住居侵入、強盗殺人等の罪のみに限定して告訴したものとは認められないばかりか、第三回公判期日において、右強制わいせつの罪をも含めて告訴した旨証言しているのであるから、右アヤ子の、前記司法警察員に対する昭和四一年一〇月一六日付供述調書においてなした告訴の効果が、右強制わいせつの罪についても及ぶことは当然であつて、これに告訴がないとなす弁護人の前記主張は当らない。
三、強制わいせつおよび強姦について補強証拠がない等の主張について
被告人は、公判廷において判示第一の強制わいせつ、同第二の強盗強姦のうち強姦の事実を否認し、この点についての捜査官に対する自白は、迎合、強制によりなした不任意の供述である旨主張し、弁護人は右二個の点については、自白以外にこれを裏づける証拠が全く存しないから、強制わいせつおよび強盗強姦については有罪となすことはできないと主張する。
そこで先ず、被告人が検察官に対し、昭和四一年一一月八日付供述調書でなした強制わいせつについての自白、同年一〇月四日付供述調書でなした強姦についての自白が、捜査官に迎合もしくは強制によつてした不任意のものであるかどうかについて考えて見るに、被告人は右二個の点を除いたその余の事実、すなわち判示第一の住居侵入、強盗殺人、現住建造物放火、判示第二の住居侵入、強盗殺人、同未遂、現住建造物放火未遂の各事実については警察、検察庁、公判廷を通じ、一貫していずれもこれを認め、その任意性を否定しないのに、右二個の点については前記検察官の取調べおよび第一回公判廷においての罪状認否に際してはこれを認め、同公判廷の終り頃に至つて否認し、昭和四二年二月九日の第五回公判廷において同じく否認し、同公判廷において始めて「春日部の強姦について、警察の係官が、あんないい女がいたので強姦したのではないかとじよう談のように言つており、自分も自首した先のことは分つていたので、この際どういう罪名がつこうと同じことだから強姦しましたといつたのです。田無の事件についても春日部で強姦しているので何かしている、何かしたのではないか、というのでやりましたといつたのです。検事のところでは春日部は女だが、田無は男であるので、四回も五回も念を押されました。自分も警察で述べているので、二回わいせつ行為をしたといつたのです。」と述べ、また同四三年一一月一八日の第八回公判廷において、同様右二個の事実を否認し、調書作成の経過について、「春日部署に自首し、同署の調べが終つてから田無署で調べられました。春日部署の調書が強姦したことになつているので、春日部でやつているが、田無でもやつているのではないか、と言われ、また死体を発見したとき上半身はランニングを着ていたが、下半身は裸であつたので、おかしなことをしているのではないか、と言われ、自分はやつていないと言つたが、信用しませんでした。田無署では警視庁の殺人班が七、八名で取り巻き、後からも前からも、横からも自分を突つつき、調べ方が苛酷でした。気持が動揺しているときであり、警察に同調しろと思い、警察のいうとおりにしました。春日部署でも田無のときと似たりよつたりで、自首してありのままに動機から終りまで述べましたが、警察では自分の言うことを信用しないで、あれだけいいかあちやんがいたんだから、いいことをしたろう、と言い、自分はやつていない、と言つても信用しませんでした。どうせこれだけのことをしたので、強姦、強制わいせつなどはさしみのつまのようなものだからと思い、警察に同調しました」と述べている。ところでこの点についての司法警察員調書は証拠調がなされていないので、その任意性の有無については判断の要はないのであるが、それが検察官に対する自白の基礎になつていると思われるので考察するに、右供述によると、最初に調べを受けた春日部警察署では警察官がじよう談のような聞き方をしたのに、これに同調して強姦を自白したというのであるから、これをもつて任意の供述でないとはなし難い。また田無警察署で前記のような強制を受けたということについては、前記のように第五回公判廷では何も述べていなかつたのに、第八回公判廷で始めて述べたこと、鶏姦の事実は前記強姦とともに、本件では当初から捜査の対象となつた重要犯罪でないばかりか、本件においては、明らかな客観的痕跡があつたわけではないから、強制までして追究すべき種類の犯罪ではないこと、被告人の前記公判廷の供述以外には、強制があつたことを窺うに足りる証拠がなく、しかも右供述たるや通読すれば信用性のないものであることなどからして、田無警察署における強制の事実はなかつたとするのが正しい観方というべきである。従つて同署においてなした鶏姦についての自白も任意でないとすることはできない。被告人は、検察官の取調べでは、田無の強制わいせつについて、相手が男であるということで四回も五回も念を押されたというのに、一言も否認せず、また警察の取調べに強制、迎合があつたということを述べていないこと、右二個の犯行とも、その動機、時機、前後の他の犯行との干連の態様等から観て、いずれも真実性が窺われることからして、被告人は前記各警察においてもまた警察官に対しても真実を、自発的に任意に自白したものと認めるのが相当である。
次に強制わいせつ、強姦の自白のみについての信用性について考えて見るに、被告人は本件強制わいせつ、強姦を除いたその余の事実については、前記のように捜査、公判を通じ、終始一貫してこれを認めているところであり、右自白は、犯行の動機、準備過程、経過内容、犯行後の状況など、犯行全般にわたつて詳細かつ整然としており、前記の如く司法警察員作成の検証調書、実況見分調書、写真撮影報告書等によつて明らかな犯行現場その他に残された痕跡、状況などの客観的証拠によつて検討できる事柄については、すべてこれに合致し、とりわけ犯人以外には知り得ない事実である犯行用の軍手を買つた場所などについての供述も裏付証拠と合致していることからして、その信用性が極めて高いものということができる。ところで、強制わいせつ、強盗強姦を含めてなされた本件公訴事実は、同一の日時場所における、相互に関連する事実として取調べの対象となり、これらについての自白は、検察官調書によれば密接に関連し、全体の犯行の経過において矛盾なくかつ連続する犯行の契機として不可分の関係で述べられていることが認められる。前記のように、犯罪の主軸をなす重要部分についての自白に、高い信用性が認められる場合、他に反対の事情が認められない本件では、右の如く関連する強制わいせつ、強姦についての自白も右重要部分についての自白と同様の信用性を認めるのが理に合うものというべく、従つて右両自白は十分信用性があるというべきである。
次に右強制わいせつと強姦についての自白の補強証拠について考えて見るに、補強証拠は必ずしも一個の犯罪事実の全部にわたつて存しなければならないものではなく、その一部を証するものであつても、それが自白にかかる事実の真実性を保障し得るものであれば足り(最判昭和二四年四月三〇日、刑集三巻五号六九一頁参照)、この理は科刑上ならびに訴訟手続上一罪として取扱われる点において単純一罪と異ならない処断上の一罪についても同じであると解するのが相当である。これを本件についてみるに、前記強制わいせつと強姦は、前示のように他の事実と処断上の一罪の干係にあり、いずれも最も重い強盗殺人罪の刑で処断されるべきものであるところ、右各強盗殺人についてのみならず、同じくこれらと一罪の干係にある各放火についてもそれぞれ証拠の標目の部に挙示したような明白な補強証拠があり、殊に強盗と強姦の結合犯である強盗強姦においては、強盗の点について強取物件の存在等の補強証拠があつて、これらが被告人の自白にかかる事実の真実性を十分に保障し得るものであるから、強制わいせつ、および強姦についてのみの補強証拠は必ずしも存しなくても足るわけである。しかしこれを挙げるならば、右両事実については、被告人が右各犯行当時現場に居り、かつ各被害者がそれぞれ判示の如き被害可能の状態にあつたこと、鑑定人医師鈴木良雄作成の鑑定書によれば、被告人は性的に異状な関心を有する者であることが認められること、強制わいせつについては、司法警察員作成の検証調書によれば、
に肯認すべき事情のあつたことが認められないのに、被害者海老沢長治の遺体が下半身丸裸の不自然な姿態であつたことが認められること、第四回公判調書中証人鳥羽山純男の供述記載および刑務所身分帳抜すい中の、四号、二二号、四六号の各観察表によれば、被告人には同性愛の傾向があり、長野刑務所服役中に鶏姦をしたことが認められること、などがある。本件強制わいせつは鶏姦という特殊な犯行であること、また強姦は被害者が経産婦であつて、被告人が判示の如く射精をしていないこと、各被害者が犯罪発覚当時既に死亡してその供述を得ることができない場合であることなどからして、各犯行とも犯罪の痕跡などの客観的な面を直接証明する証拠を採取することが殆んど不可能であることの点は、右二個の自白についての補強証拠の存否を考察するうえで逸してはならない事情である。本件において、前記の如く自白の信用度の高い右二個の事実につき、前記の如く一罪をなす犯罪の重要部分に補強証拠があり、かつそれぞれについても右挙示の補強証拠が存するので、弁護人の前記主張は当らない。
(法令の適用)
被告人の判示第一、二の所為中、各住居侵入の点はいずれも刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、各強盗殺人の点はいずれも刑法二四〇条後段に、第一の所為中、強制わいせつの点は同法一七六条前段に、現住建造物放火の点は同法一〇八条に、第二の所為中、強盗強姦の点は同法二四一条前段に、強盗殺人未遂の点は同法二四三条、二四〇条後段に、現住建造物放火未遂の点は同法一一二条、一〇八条にそれぞれ該当するが、第一の、住居侵入と強盗殺人の間、同住居侵入と強制わいせつの間、同住居侵入と現住建造物放火との間には、いずれも手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により、結局以上を一罪として最も重いと認める強盗殺人罪の刑で処断することとし、第二の、強盗強姦と強盗殺人、現住建造物放火未遂と強盗殺人未遂は、それぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる場合であり、住居侵入と強盗強姦の間、同住居侵入と各強盗殺人の間、同住居侵入と強盗殺人未遂との間、同住居侵入と現住建造物放火未遂との間には、いずれも手段結果の関係があるので、前者についてはいずれも同法五四条一項前段、一〇条を、後者についてはいずれも同法五四条一項後段、一〇条を適用して、結局以上を一罪として最も重いと認める判示関谷甚九郎に対する強盗殺人罪の刑で処断することとし、右第一、第二の強盗殺人は、同法四五条前段の併合罪の関係にある。
そこで情状について考えてみるに、まず本件各犯行の動機は、判示のとおり、被告人は強盗罪等により、昭和三五年九月二〇日に言い渡された懲役六年の刑に服し、同四一年九月一日仮出獄により長野刑務所を出所し、東京保護観察所に出頭した際、係り保護観察官から、指定帰住地である判示興楽会に行き、その後の生活指導を受けるよう指示されたのに、面倒くさがつて同所に行かず、作業賞与金などの僅かの金しか持つていないのに、その夜から簡易旅館に宿泊し、翌日からは働いて生活することなど全く念頭におかず、競輪場通いをしてその所持金を空費し、第一の犯行については所持金が半減したためその後の生活が心細くなつたことから、また第二の犯行については所持金が殆んどなくなつてしまつたことから、いずれも強盗を決行しようと思い立つたことであつて、根本は働く意欲を全く持たない怠惰心から発した以外の何物でもない。この点まず強く非難されなければならない。
次に、第一、第二の犯行とも計画的に行われたものである。すなわち、第一は指紋を残さぬための手袋、脅すための包丁および椅子の脚、縛るための麻繩などを持ち、目立たないための服装を整え、映画館で時間待ちをしたうえ、深夜人の寝静まつたころを見はからつて押し入つたものであり、第二も手袋、丸太棒を携え、やはり映画館等で時間待ちをして人の寝静まつた深夜押し入り、勝手場から包丁をとつて家人の枕元に立つているのであつて、いずれも偶発的犯行と異なり、犯情が非常に重いというべきである。
進んで犯行の態様であるが、もともと強盗が目的で押し入つたのであるから、せいぜい家人を縛り、金や物を盗つたところで退散すべきであるのに、第一の田無市では判示したとおり、強制わいせつ行為をしたうえ、顔を見られたのが危険だということで殺意を起し、全く抵抗の出来ない被害者を頭のてつぺんから足の爪先に至るまで、まさに十重、八十重ともいうべき程にしつようにぐるぐる巻きに縛り上げて苦しめたあげく窒息死させ、そのうえ犯跡隠ぺいのためということで、家まで焼き払つてしまい、たまたま夜間宿直のため不在であつたのが幸いして、被告人の魔手を免れた妻アヤ子の住むべき住居まで失わせたということに至つては、これのみで既に悪行極まれりという外ない。
さらに第二の犯行は、第一の犯行から僅か一二日後に行われたものであつて、第一の大罪を犯しながらその罪の深さについていささかも反省するところなく、恰も強盗が被告人の仕事であるかの如くたやすく決行し、甚九郎夫婦を縛つたうえ妻圭子を強姦し、被告人が僅かに油断したところを圭子に包丁で頭を叩かれたからといつて、一家皆殺しを決意し、第一の犯行の際におけると同様甚九郎と圭子をぐるぐる巻きに縛り上げて苦しませたあげくいずれも窒息死させ、生後一年も経たない幼児建郎が泣いたからといつて、恰も虫けらでもひねりつぶすように締め殺し、五歳の越郎は、縛つただけで直接手を下して殺しはしなかつたものの、第一と同様犯跡隠ぺいのため家に放火して、家もろとも焼き殺し、結局家人全員と家を灰にしてしまおうとしたのである。被告人は、圭子が被告人の頭を包丁で叩いた、まさに正当防衛ともいうべき行為をもつて、昭和四三年一〇月一四日付上申書や第八回公判廷において、圭子を鬼のような女だと罵り、俺の方こそ被害者だ、あんなことをしなければ単なる強盗だけで済んだのに馬鹿な女だ、と暴言を吐いているが、以上第一に次ぐ第二の犯行といい、右暴言を吐く心情といい、被告人に果して一片の人間心というものがあると言えるだろうか、ここに至つて被告人に対する非難の言葉を知らない。
被告人の法廷における態度は、第一回公判の罪状認否の際には、素直に起訴に係る全事実を認め、普通の事件と違つて大へんなことをした、亡くなつた方とご家族、ご親戚の方々に対して大へん申しわけない、なるべく早く処罰して貰いたい、できれば今日にでも判決していただき極刑にして貰いたい、といとも神妙に述べたが、その日の公判の終りには、海老沢長治に対する強制わいせつと、関谷圭子に対する強姦はやつていない、と言つて右二つの事実を否認し、その後の公判廷で、何か気に食わないことがあれば大声で怒鳴り、或は看守を突き飛ばして退廷しようとし(第四回公判廷)、或は弁護人に食つてかかり(第五回公判廷)、また第八回公判においてウイスキーを飲ませたうえで、もう一度精神鑑定をしてくれとの鑑定申請を却下されるや、裁判官退廷直後ではあるが、検察官在廷中、馬鹿野郎呼ばわりをし、傍聴人席に向つても、見せものじやない、と怒鳴りつけるなどしていることに鑑みると、前記罪状認否の際における素直な自白も真意に出たものかどうか疑わしく、現在においても真に反省悔悟しているものとは思われない。
被害者らは、被告人とは一面識すらなく、いずれも善良な市民として何らの過失なく、平和な暮しを営んでいたものであつて、第一の被害者は結婚後間もなく新生活を順調に送つていたものであり、第二の被害者は親子四人で幸福な家庭生活をしていたにもかかわらず、いずれも一夜のうちに被告人の手によりその生命を奪われたもので、特にその中に生後一年に満たない幼児が含まれていることを考えるにつけても、四名の霊は長く成仏できないものがあろうと思われる。
被告人が判示の如く、幼少のころ母と死別したため、母の愛情を知らず、父の手からも離れて生活したこと、少年期の始め戦災にあつて疎開したり、終戦直後の混乱のなかに育つたことなど、その生い立ち、生活環境が恵まれなかつたことは、同情すべき点であるが、しかし親、親族、雇主などから特に疎外されたわけでもないのに、自らのあきつぽい性格のため仕事が長続きせず、家出して不良の徒と交り、非行を重ね、児童相談所、少年院、刑務所と次々に収容され、本件犯行時までその半生の大部分を犯罪者として送つたということは、むしろ被告人自身の怠惰と反社会的性格によるものが大であるというべく、本件二つの犯行のうち第一は仮出獄の日の三日後に、第二はその後二週間も経たないうちに連続して敢行され、しかもこのような重罪を重ねながら、前記のとおり全く改悛の情があるとは思われないということは、被告人の反社会的性格が極めて深刻化しており、その改善を期待することは殆んど不能に近い程困難なものになつているものと言わざるを得ない。
被告人の言うとおり、迷宮入化したかもしれない本件第一、第二の犯行が、被告人が警察に自首したことにより一挙に解決したものであり、右自首は法律上の裁量的減軽事由に該るものであること、被告人が強制わいせつと強姦の点を除き、最も重大な強盗殺人と放火の事実を自白していること、前記同情すべき生い立ち、第二の犯行における放火と、関谷越郎に対する殺人が未遂に終つたことなどは、被告人にとつて有利な情状ということができるのであるが、判示犯行の動機、態様、結果の重大性、前記犯行後の法廷の態度、関谷圭子が被告人に対しては加害者であるとの考え方などから窺われるところの、真に改悛の情があるとは認められないことなどの諸般の事情を考慮すると、右有利な諸事情も特に被告人に対する量刑を軽くすべき情状とはなし難い。
よつて前記第一、第二の各強盗殺人罪について、所定刑中いずれも死刑を選択し、刑法一〇条三項により犯情が重いと認める第二の関谷甚九郎に対する罪の刑で処断し、これと併合罪の関係にある第一の罪の刑は、同法四六条一項本文によりこれを科さず、主文第二項記載の押収物件のうち、包丁一丁、麻繩一五本は判示第一の強盗殺人の各供用物件であり、軸二本在中のマツチ箱一個および燃え残りマツチ軸一本は判示第二の現住建造物放火未遂の各供用物件であつて、いずれも犯人以外の者に属さないから、同法四六条一項但書、一九条一項二号、二項により、これを没収し、主文第三項記載の押収物件中、背広上下一着およびナイロン製風呂敷一枚は、いずれも判示第一の強盗殺人により、また背広上衣二枚、黒短靴一足、半袖シヤツ一枚、ズボン二本、手提カバン一個は、いずれも判示第二の強盗殺人によりそれぞれ得た賍物で、被害者もしくは被害者の相続人に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項により、主文第三項記載のとおり還付し、訴訟費用は、同法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 秋葉雄治 杉山英巳 小田泰機)